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最高裁判所第二小法廷 昭和32年(あ)455号 判決 1960年8月19日

主文

原判決中、被告人らに関する部分を破棄する。

本件を広島高等裁判所に差し戻す。

理由

被告人両名の弁護人森川金寿、同曽我部東子の上告趣意第一点(そのうちの一のイ)について。

所論は要するに、本件は親告罪であるが、第一審判決及び原判決は、本件公訴の提起前に告訴の取消があった事実を看過し、実体判決をした違法があると主張するものであって、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

しかし右の点につき、当裁判所は職権をもって調査するに、第一、二審裁判所が、被告人ら両名及び第一、二審までの相被告人高田清子の三名に対し有罪とした本件結婚誘拐の罪が親告罪であることは、刑法二二九条の規定によって明らかである。そこで記録を調べるに本件の告訴は昭和二九年九月二九日附府中警察署長宛提出された被害者高橋早子名義による告訴状(記録八八〇丁)によるものであるが(尤も、第一審証人府中警察署警察官井上栄は、別に同日早子の口頭による告訴がありその告訴調書が作成され、右告訴状は実際は昭和二九年一〇月一六、七日頃同警察署に提出されたものであって、その日附を昭和二九年九月二九日に遡らせたものである旨供述しているが、右告訴調書なるものは記録上存在せず、右日附遡及の点もにわかに措信できない)、他面右早子の父健爾は、本件の公訴提起前である昭和二九年一〇月八日、同警察署司法警察員大室雄三に対し、口頭をもって告訴の取消を為し、これに基づき右警察員による告訴取消調書が作成(刑訴二四一条、二四三条)されていることが明らかである(記録九八五丁)。

そこで父健爾のした右告訴取消が、第一審で無罪と判断された非親告罪である不法監禁の事実に対する部分の告訴取消だけではなく、第一、二審で有罪とされた本件親告罪である結婚誘拐の事実に関する告訴をも取消したものであり、且つその取消が被害者早子の代理人として為したもの(刑訴二四〇条)であるとするならば、本件結婚誘拐の事実に対する公訴の提起は、その適法条件を欠き無効のものといわなければならない。

よって以下右告訴取消の範囲並びに該取消が適法のものか否かについて検討する。(イ)先づ取消の範囲について考えるに、該告訴取消調書中の「告訴事実」の項において、「和田利明、高田久夫及び高田清子等が共謀して私の長女高橋早子当二十才を騙して誘い出し結婚して呉れと言うて娘早子を監視づきで和田利明方に閉じ込めどうしても家に帰して呉れず云々」と記載してあり、次に「告訴取消事由」の項において、本件告訴を取消すに至った事情と経緯が記載されてあるのであるが、その要旨は「和田利明の父和田太吉及び祖父和田理総太が共に謝罪し来り、なお隣保班長である井藤峰一、若井豊、松葉欣一の三名並びに健爾方の親族小林志吉らの奔走により本件を円満解決するようにとの勧説及び斡旋があり、和田の方で今後一切和田利明は娘早子を手がけぬこと、早子とは結婚しないことを約束したので、私も円満に話しを済ませ、告訴を取消すことを約束したので、告訴を取消したい」との趣旨の記載があって、これらを総合すれば、本件告訴取消の対象範囲は告訴事実の全部、即ち誘拐行為より不法監禁の事実にわたる一連の全事実の告訴取消であるように解せられるのであって、該調書冒頭前文記載の「不法監禁被疑事件について」との記載は右全事実を含めた事件名の表示に過ぎないものと解するを相当とするのではないかと思料されるのである。もしそれ右告訴取消は不法監禁の事実だけを取消したものであるとするならば、却って右告訴取消調書中、誘拐行為については取消はしないとの明確な趣旨が記載されるを相当と考えられるのであるが、該調書中のいづこにもかかる記載は発見できないのである。(ロ)次に告訴取消についての健爾の代理権の有無について考えるに、前記告訴取消調書中の「告訴の年月日時」の項の「昭和二十九年九月二十九日午後六時」との記載と前記告訴状の日附とが一致している事実、及び本件事案のような場合、殊にその取消に至った前記の事情経緯に鑑みると、告訴取消については、高橋家はその近親特に被害者本人である早子の意思を無視して取消すことは通常為し得ないところと思料されるのである。そして刑訴二四〇条の代理人による告訴取消の場合につき、当該代理権の存在の証明について格段なる要式を規定していないところ等から考えて、その代理権の存した事実は実質的に証明せられる限りにおいて、当該告訴取消は適法有効のものと解するを相当とすべきである。されば本件告訴取消に、当の早子の委任状の添付または該取消調書に「代理」の記載がないとの一事によって直ちに該告訴取消を無効と断ずべきものではない。それ故、本件代理権の有無の事実は十分に解明されなければならないところである。しかるに記録によれば、早子は第一審において証人として尋問を受け、被告人らに対して厳重処罰を望む旨の供述(記録一二二丁)はあるが、本件告訴取消に同意し父にその代理を任せたか否かの点についての判断の資料とはなし難く、また父健爾は第一審で証人として尋問を受けているが、告訴取消についの代理権の有無の点については何等の供述もなく、また被害者早子の兄高橋春己の第一審証人としての供述中、告訴取消は父の独断でやったものと思う旨の供述(記録一〇二九丁)もあるが、他方には、父から告訴取消について意見を求められたことがあり、別段これに対し意見を述べないで、父親に一任する形であったとの趣旨の供述(記録一〇二九丁)をもしているのであって、これを素直に取れば告訴取消は、早子本人をも含めて高橋家近親一同父健爾にその処置を一任したものと解せられないことはないのである。これを要するに、父健爾のした告訴取消につき早子本人の同意の有無特にその代理権授与事実の有無につき明確にこれを何れとも断定するについての資料は存在しないのである。

以上の如くにして、原判決は本件親告罪の告訴取消の有効無効の点につき審理不尽乃至理由不備の違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、爾余の論旨並びに他の各弁護人の論旨に対する判断をまつまでもなく、原判決は既にこの点において破棄を免れない。

よって、刑訴四一一条一号、四一三条に則り、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

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